2008年4月22日 (火)

本村さんの記者会見

 光市母子殺害事件における判決に対する本村さんの記者会見を拝見しましたが、この方はこの9年間にほんとにたくさんのことを考えたんだろうなぁと、そう感じました。死刑の壁の高さ故に死刑とは何なのかということを考え抜いた。そんな内容の記者会見であったように思えます。

 理路整然と語る本村さんが唯一感情的に話しているように見えたのは、差戻し審の際に元少年が供述を変え、事実を認め反省する姿勢に徹しなかったこと、そして、その結果、死刑を回避出来る可能性を自ら失ったかもしれないことについて、残念でならないとの思いを語った時。この事件で元少年を含めた3人の社会的損失が発生したと語ったことと併せて考えると、最早、単純に元少年の死を望んでいるのではないという死刑を求刑する側としての複雑な心境や、どうすれば凶悪な犯罪を無くすことが出来るのか、そして、死刑の存廃を含め、そのための死刑のあり方について、この9年間、ずっと考えていたであろうことが垣間見えた。本村さんにとってこの9年間は、とても長く辛いものであっただろうと勝手に我々は察するが、本村さんが今日この心境に至るまでには、必要な時間であったのかもしれないとも僕は勝手に思ってしまった。その善し悪しについては、分からないけれど。

 いずれにせよ、今日の会見の本村さんの一言一言には大変な重みがあり、その言葉を前にして、我々の言う死刑の存廃など、所詮は他人事で戯言であると考えたけれども、「これを契機にどうすれば凶悪な犯罪を無くすことが出来るのかを社会全体が考えなければならない」という問題提起を我々は受け止め、他人事、戯言でないレベルで考えなければならないのだと、考えを改めるに至った。結論は出ないかもしれない。だが、考えることが大切なのだと思うから、考えたいと思う。

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2006年10月 7日 (土)

滝川市教育委員会の対応について

 いじめによる自殺に対する滝川市教育委員会の対応についての報道について気になる点がある。報道内容はご存知かと思うが、教育委員会等学校側による遺書の内容の隠蔽、そして、いじめと明記されているにもかかわらず、いじめを自殺動機として否定する対応が問題とされいる。そこで気になるのは、単純にその責任逃れのための不誠実な対応をする組織の体質を糾弾しているだけに留まっている内容がほとんどということである。

 今回のこの事件の主役は子供達である。そして、自分達の問題について世間から事実を隠蔽し言い逃れをする大人達を見て、その子供達はどう思だろう?大人をナメた子供にならないだろうか?自分達の行動の結果に対して責任のある人間に成長するだろうか?立派な人間を育むために存在する教育委員会が今回のような対応を取るということは、非常に残念なことであると同時に、やはり現在の教育に対する考え方、つまり偏差値教育、大学に進学することが最終目標の教育方針について疑問に感じざるを得ない。今回の一連の報道において、子供達のためにもこのような対応はあるべきではないと言う声は(僕の知る範囲では、)稀であったと思う。

 また、今回の事件に限らず、大人達のモラルにはかなり問題があると思う。少年犯罪の増加、若者のモラルの低下が問題とされ始めてから久しいが、それらの問題の背景となる社会を築いた、もしくは現在も築いているのは大人であるということを我々はもっと深く受け止めるべきではないだろうか。先日、僕が公衆トイレに並んでいた時のことだ。僕は二番目に並んでいて、先頭には小学校低学年ぐらいの男の子が並んでいた。そこに慌てている様子の中年男性が並ばずに便器に向かおうとした。便器に空きがなく、結局大便器の方へ行ったため、注意することも出来なかったのだが、普通に小便器で用を足したら、後ろから押してやりたい気分だった。10歳にも満たないほどの子供が並んでいるのを黙って横入りするなんて大人のすることではないし、いくら急いでいても一言お願いするのが当然だろう。そして、やはりこの順番を抜かれた子供はどう思うであろう。子供は大人を手本としていることをもっと大人は自覚するべきだ。つまり、大人のモラルの低下が若者のモラルをさらに低下させるのである。そしてこれは、政治や行政だけの責任ではなく(もちろん政治や行政がリードすべきなのだが)、個人のレベルで意識すべき問題なのである。自分が社会の一員であると自覚している大人がいったいどれくらいいるのだろうか?

 ただ、今回の問題で滝川市教育委員会がいじめによる自殺であったことを認めたことを、僕は評価すべきだと思う。ここに至るまでのプロセスには当然問題はあるが、ここ数年において教育委員会がいじめによる自殺と認定した件数は0件だそうだ。今回のようにいじめが原因との遺書が残されているにもかかわらずだ。そういった意味では、時間がかかってしまったとは言え、逃げ切る手段を選択せずに問題を受け止めたことは、子供達に少しでも示しをつけたのではないだろうか。あるべき姿への第一歩だと思う。今後は、全ての教育機関が自らの使命について見つめ直し、本来あるべき姿での対応があることを望む。

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