2007年11月12日 (月)

ニッポンの教養

爆笑問題のニッポンの教養 宇宙人はどこにいるのか? 惑星科学 (爆笑問題のニッポンの教養) Book 爆笑問題のニッポンの教養 宇宙人はどこにいるのか? 惑星科学 (爆笑問題のニッポンの教養)

著者:太田 光,田中 裕二,井田 茂
販売元:講談社
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 「何か頭を刺激するような本が読みたい。」

 そんなことを考えながら、本屋さんをぶらぶらしていた時にたまたま見かけて購入。それまでは番組自体知らなかったが、NHKで放送中の「爆笑問題のニッポンの教養」が書籍化されたもので、番組の内容は、爆笑問題のお二人がある専門分野での実績のある教授など、様々な学者のもとを訪れ、その専門分野に沿って「学問」について語り合うといった内容で、今は6冊が発売されている。

 その6冊のうち、「宇宙人はどこにいるのか?(惑星科学)」、「生命のかたちお見せします(発生生物学)」を読み終え、今は「人間は動物である。ただし…(社会心理学)」を読んでいる。最初に読んだのは、「宇宙人はどこにいるのか?(惑星科学)」だった。

 「宇宙人はどこにいるのか?」 ここで紹介されている井田 茂先生は、惑星の誕生と形成を研究している惑星科学者。井田先生は、この本の中でサブタイトルである上記の問いに対し、惑星科学者としての見解を示しているだけではなく、宇宙、惑星の誕生~終焉の流れなど、宇宙について簡潔に説明してくれている。また、爆笑問題がそこから哲学的な内容にまで話を持っていって、そこが非常に面白かった。

 たまたまこの本を読み終えた直後に会った友人がしてくれた話だが、昔のフランス語の勉強は、フランス語の知識など全くない状態でフランス語の本をまる一冊訳すという方法だったらしく、正にそれが勉強だと思ったらしい。僕もそれを聞き、納得した。現在、日本における勉強とはプロセスの積み重ねであり、目的が見えない。「そんな勉強なんて我慢出来ない。目的に到達するためのプロセスとして学ぶことならば、出来る。」そう言う彼は、今、予備知識もなく原論を読み、そこから分からないところを紐解く方法で色々なことを勉強しているらしい。僕は彼に原論ではないが、この本にも学ぶ意欲を刺激すると紹介した。学ぶことへの入り口には最適だと思う。

 余談になるが、この本を読んでいて思い出したのは、僕も小さい頃、「無からどうやって宇宙が生まれたんだろう?」、「宇宙に終わりはあるんだろうか?」って考えて、自分には計り知ることの出来ないことに怖くなって、よく眠れなくなったりしたこと。そして、僕が子供の頃に「自分には分かる訳がない」と決め付けていたことに、真剣に挑んでいる大人がいることを目の当たりにして、自分が情けなくなった。生き方の姿勢が違う気がした。

次は「ヒトはなぜ死ぬのか?(生化学)」を読みたいと思う。

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2006年10月 7日 (土)

滝川市教育委員会の対応について

 いじめによる自殺に対する滝川市教育委員会の対応についての報道について気になる点がある。報道内容はご存知かと思うが、教育委員会等学校側による遺書の内容の隠蔽、そして、いじめと明記されているにもかかわらず、いじめを自殺動機として否定する対応が問題とされいる。そこで気になるのは、単純にその責任逃れのための不誠実な対応をする組織の体質を糾弾しているだけに留まっている内容がほとんどということである。

 今回のこの事件の主役は子供達である。そして、自分達の問題について世間から事実を隠蔽し言い逃れをする大人達を見て、その子供達はどう思だろう?大人をナメた子供にならないだろうか?自分達の行動の結果に対して責任のある人間に成長するだろうか?立派な人間を育むために存在する教育委員会が今回のような対応を取るということは、非常に残念なことであると同時に、やはり現在の教育に対する考え方、つまり偏差値教育、大学に進学することが最終目標の教育方針について疑問に感じざるを得ない。今回の一連の報道において、子供達のためにもこのような対応はあるべきではないと言う声は(僕の知る範囲では、)稀であったと思う。

 また、今回の事件に限らず、大人達のモラルにはかなり問題があると思う。少年犯罪の増加、若者のモラルの低下が問題とされ始めてから久しいが、それらの問題の背景となる社会を築いた、もしくは現在も築いているのは大人であるということを我々はもっと深く受け止めるべきではないだろうか。先日、僕が公衆トイレに並んでいた時のことだ。僕は二番目に並んでいて、先頭には小学校低学年ぐらいの男の子が並んでいた。そこに慌てている様子の中年男性が並ばずに便器に向かおうとした。便器に空きがなく、結局大便器の方へ行ったため、注意することも出来なかったのだが、普通に小便器で用を足したら、後ろから押してやりたい気分だった。10歳にも満たないほどの子供が並んでいるのを黙って横入りするなんて大人のすることではないし、いくら急いでいても一言お願いするのが当然だろう。そして、やはりこの順番を抜かれた子供はどう思うであろう。子供は大人を手本としていることをもっと大人は自覚するべきだ。つまり、大人のモラルの低下が若者のモラルをさらに低下させるのである。そしてこれは、政治や行政だけの責任ではなく(もちろん政治や行政がリードすべきなのだが)、個人のレベルで意識すべき問題なのである。自分が社会の一員であると自覚している大人がいったいどれくらいいるのだろうか?

 ただ、今回の問題で滝川市教育委員会がいじめによる自殺であったことを認めたことを、僕は評価すべきだと思う。ここに至るまでのプロセスには当然問題はあるが、ここ数年において教育委員会がいじめによる自殺と認定した件数は0件だそうだ。今回のようにいじめが原因との遺書が残されているにもかかわらずだ。そういった意味では、時間がかかってしまったとは言え、逃げ切る手段を選択せずに問題を受け止めたことは、子供達に少しでも示しをつけたのではないだろうか。あるべき姿への第一歩だと思う。今後は、全ての教育機関が自らの使命について見つめ直し、本来あるべき姿での対応があることを望む。

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